たをやめ、時々ますらを

記憶に残るアニメと、忘れられていくアニメとに敬意と愛を示していきたい。

最後の祭りがオタクの場合〜五等分の花嫁113話を読んで

※五等分の花嫁113話までのネタバレを含みます。

 

感情は推敲できない。駄文です。


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『五等分の花嫁』という作品に出会ったのがいつだったかもう思い出せない。確かコミックス3巻が出た頃だったような気がする。そんなに遠い昔の話ではない。それでも思い出せない。

長い時を風太郎と五つ子と過ごしてきたような気がしている。

 

『五等分の花嫁』が14巻をもって完結することが発表された。悲しいような、嬉しいような気持ちになった。

 

今日は週刊少年マガジン2020年1号の発売日。すなわち『五等分の花嫁』第133話「最後の祭りが風太郎の場合」が掲載された日。花嫁が確定した日だ。今日このときの感情を永遠に忘れないために、何らかの形で残しておくことが自分のために必要だと思った。だからブログに書いておくことにした。

 

ぼくもオタクになって久しい。(オタクの大好きな"オタク"の定義についての話はここでは省く。あとぼくは"ヲタク"表記が好きではない)

様々な作品と出会っては別れ、記憶に刻んだり忘れたりした。その中でも、この『五等分の花嫁』という作品のことは一生ツバを飛ばして語る作品の一つになると確信している。

沢山のアニメ・色々な漫画に触れる中で、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、多くの感情を受け取ってきた。泣くことも笑うこともあった。

ぼくの人生において漫画やアニメは欠くことのできないものになっている。

 

「最後の祭りが風太郎の場合」を読み切ったとき、ぼくは泣きも笑いもしなかった。 

ただ声が出た。言葉は出なかった。

それは自分の中の巨大な感情が零れたものだったと思う。本当のところはよくわからないが。

 

『五等分の花嫁』に出会ってぼくの人生は変わった、ということは特にない。ほんの少しだけ出費が増えた程度だ。ただの娯楽で、ただの暇潰しで、ただの毎週の楽しみだった。

 

ぼくは中野四葉を応援しながらこの作品を読んでいた。コミックスを買い、連載を追い、五等分の花嫁展にも行き、埃のかぶったブログを引っ張り出して中野四葉への想いを綴り、6年間変えていなかったTwitterのアイコンも中野四葉に変え、今も長文でお気持ちを殴り書いている。

ただ中野四葉にしあわせになってもらいたかった。

作品の中の人間に対して感情移入することは沢山あった。でも作中の人物に対して、ただ幸せになってほしいと、心の底から願うことは初めてだった。

そしてぼくの願いは叶う。

四葉は幸せになる。風太郎が幸せにしてくれる。風太郎にしかできないことを、風太郎が果たしてくれる。

こんなに嬉しいことはない。少しの羨望と嫉妬はあるけれど。

 

最後の祭り編はファンたちにとっても最後の祭りだった。毎週姉妹の可愛いシーンがあり、それでも間違いなく終わりに近づいているのを感じていた。

 

あと多くても10話程度で『五等分の花嫁』が終わる。

まだ少しのごたごたはあるかもしれない。

それでも四葉の幸せは揺るがない。

考察も展開予想もここから先はただの無粋になる。

ただ最後の一コマまで見届けたい。

他の4人の姉妹のファンも、春場ねぎ先生が「4/5のファンには嫌われてもいい」という覚悟で描くラストを見届ける義務があると思う。それでそのファンが作品に対する評価を落とすとしても。

 

やっぱりまとまった文章にはならなかった。

四葉おめでとう。

 

すこしいいオレンジジュースを買った。

 

ただ今日は祝杯を。

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画像が横になってしまった。直し方はわからない。